〜プロローグ2013〜

昨年から陸上短距離を始めた。
元水泳部なので、競泳のマスターズにでも出れば、25〜50mまでなら筋肉で強引に好タイムが出せるだろうに、何故に陸上短距離なのか?

その発端は、暗い上に書くと冗長的になってしまうので、書くか書かないか散々迷ったが、シリーズとして展開するに当たり、陸上競技を始めた理由を明確化しておくべきと思ったので、以下に長々と記したい。



2013年8月。
所属地区の少年団から運動会の地区対抗リレー出場依頼があった。
娘さんの学校行事に関することなので、無下にはできない。
二つ返事でOKした。40歳になったばかりの頃である。

私は陸上の練習をしたことはなかったが、天然で走るのが速かったのが自慢であった。
小学校時代も地区対抗リレーに選ばれ、水泳部であったが中学の時も高校の時も運動会のリレーで3人抜きをしたことがあり、高校の時の二クラス合同の体育でも、100mと幅跳びは2位だった。

ノーマル仕様の高校時代に比べて筋量は格段に増えた上、減量目的で自分のトレーニングにスプリントを入れ始めた頃だったので、自信があった訳だ。

本番の距離は100mくらいだったかなぁ〜。今、72kgで、普段のダッシュは50mくらいしかしていないから、体重を減らして100m以上持つようにしないといけないと、ETBとクレアボルブラックを入れてトレーニングしたところ、減らすつもりの体重が当日には76kgまで増えてしまっていた。無駄に太い腕!!



2013年9月
運動会当日。走る距離は、160mだった(200mに見える!)。100mとゴール後のキメポーズしか練習してこなかったし、高校時代よりも15kg前後体重が重い為、前半は自他共に速かったと言う評価だが、後半はバテバテになってしまい、抜かれる事はなかったが、他の地区の中学生に距離を詰められてしまった。

予選では、全チーム中2位のタイムだったため、我がチームは決勝へ進出した。陸上競技という物は勝敗や実力がその場で覆るタイプの物ではない為、ミスやアクシデント等が発生しない限りは、我々が一位になることは決して起こらない。しかし、兎に角、決勝も頑張ろうと、吐いてしまう可能性が高かったので、義母が作った豪華な弁当にほとんど箸を付けず、体力の回復に努めた。後半の部も残り僅かになって来た頃、事件は起こった。



娘さんの演目を写真に撮り終え、自分の出番のために急いで、陣地へ戻ろうとしていたところ、あるお母さんに声をかけられた。どうやら、同じ地区の少年団の役員らしい。

「地区対抗リレーで、走られていた方ですよね?」
「はい(あっ、早く戻って準備しろってか)」
「あの・・・どこか、怪我とかされてないですか?」
「(あ、心配してくれてるんだー!)いえ、全然、大丈夫です」
「怪我されているなら、昼から来た中学生が代わってくれるっていってるので、代わりましょうか?」
「(どっか悪く見えたのかなぁ?)どこも大丈夫です」←この時点まで天然レベルで相手の意図が解っていない。
「ちょっと、待ってて下さい」
とそのお母さんは、他の同地区役員の元へ向かい、再度、戻って来た。

「本当にどこも悪くないのですか?中学生の子が代わってくれるって言ってますよ」
ようやくながら、その意図と、表現の気持ち悪さに気がつき、
「いえ、全然、代わる必要はないです」と答えると、
「何処か悪かったら、中学生が走るので、代わりましょうか?」と食い下がる。

どうしても、地区役員側が「遅かった」とか「代われ」という言葉を使用せずに、私が怪我をしたから中学生に代わってもらうように願い出たと言うシナリオを通したいらしい。

そのお母さんも誰かに言わされている感満々だったが、言葉遊びに腹が立って、こめかみに血管が浮かんだ。しかし、ここで代わらないとゴネたことで、後々、娘が虐めにあう可能性や一家が村八分にされる可能性が頭を過ぎったので、「僕は全くどこも悪くありませんし、走る意志と意欲があります。ですが、そこまでして勝ちたいのであれば、少年団の判断に任せます。ただ、僕は走る気、満々ですから!」と、語気を強めて代わって欲しい意図は全くないことを強調し、準備にかかるべく、その場を離れた。



「代わって」と言っていないので、流石にもう何も起こらないだろうと思い、準備を終えて集合場所へ向かおうとしたろころ、先ほどのお母さんがやってきて、「中学生が代わってくれるって!」と言って去って行った。「代わってくれ何て一言も行ってないやろ!」と叫びそうになったが、その田舎独特の気持ち悪さに恐怖すら感じたので、言葉が出なかった。

結果的に、もう一人の父母も中学生へと変更し、我々のチームは、男3女2中、父母2人中学生が3人という、全チーム中、最もチートな構成で出場。千原兄でなくても「中学生の方が多いなんて、中学校の運動会やんけ!」とベタに突っ込みたくなるような様であった。

当然ながら、薄気味悪さの後に来たのは、怒りであった。もう二度と地区の少年団とは関わるものか!俺は弁当我慢してたんだぞ(←ここ重要)。そう思った時、娘の学年のテントが眼に入った。しまった!娘は父が決勝を走るものと思って、心待ちにしていたに違いない。何たる間違いを犯してしまったのだろう。村八分などを恐れず、中学生に抜かされようと、断固として自分が走るべきであった。通り魔にあったような被害者意識にとらわれていたが、自分の判断が娘を傷つけてしまったことに気がついたのだ。一部の人間の自己満足に対する怒りから一転、自己嫌悪と後悔の念にさいなまれた。

「娘に一度で良いから決勝戦を全力で走る父の姿を見せたい!もう一度、一生懸命、身体を張っている所を見せたい!」

嫌な思いをして、少年団とは二度と関わるかと思ったけど、来年も頼まれたら地区対抗に出よう。あれ?待てよ。今年こんなんだったし、来年は依頼が来ない可能性が高いぞ!?(※)

「だったら他で、走るしかないな」

決勝レースが始まるまでの一瞬で、思考のパラダイムシフトが起こったのである(※2)。

このように思い至り、2014年から選手登録をして陸上競技の記録会へ参加するようになった。

本編へ続く



※ 結局2014年のリレーもお呼びがかかった

※2 結果的にポジティブ思考につながり、この経験がなければ現在競技を行っていないと思うが、それとこれとは別で、首謀者には「どうせ、カラオケ行ったらいつも『世界に一つだけの花』を歌ってんだろうに、ありゃどういう了見だ!?」、「お前、今年、走るよな?」って言ってやりたい・・・



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