今年に入って、陸上三段跳びの清瀬選手専属トレーナーである川阪氏から久しぶりに連絡を頂きました。

店頭販売の頃は、何度も忌憚のないディスカッションを交わしていたので、ある程度の相互理解を得ていたはずですが、男子たるもの3日会わずんば、大きな変化を遂げていることしばしばです。彼の場合、しばらく会わないうちにメンタルトレーナーとしての活躍の場を広げるに到っていました。

簡単でしょ?しかも、近々、メンタルトレーニングの本を出版されるというではないですか。ならば、微力ながらも応援したい!

しかし、自分が知らない間にひょっとしたら、激しい修行の果てに殺意の波動に目覚めてしまっている可能性が無きにしも非ずと思い、サプリマスターが胸を張って紹介する為には、まずは相手を知ることから始めようとその時思い至ったのです。



その際に、彼の師である原田氏の本を読むことから始めました。

それまで、全く原田氏の書籍を読んだことがなかったのですが、物凄く合点がいく話が網羅されていました。その中で、特に気に入ったと言うか、自分の中で言葉になっていなかった感覚が見事な形、シンプルな言葉になって姿を現したのです。

それが、「準備力」という言葉です。



目的があり、ゴール設定がある事は、目標達成には重要ですが、何よりもそこに到るまでどれだけ準備できるかが非常に重要であると言うことです。

世の中には、確実に天才という者が存在します。ですが、私を含めた多くの人々は、物事を達成するのに多大な努力と時間を必要とします。天才でもない限り、ゴールに向かうには、莫大な時間をかけてコンディショニングや精神維持を含めた努力の継続をしなければなりません。

誰しもがプロフェッショナルである必然性こそありませんが、悪い意味でのアマチュア精神の代表格が大した準備もせずに「上手く行けば、勝てるかも知れない」と思ってしまうことです。そのようなメンタリティでは、単なるファンスポーツであれど大した結果が得られないどころか、本来の楽しさや爽快感にすら到達できません。単に楽しむ為でも、入念な準備というバックボーンを必要とします。

私は、中学時代は水泳部で、学生時代には水泳のコーチをしていました。そこでは、便宜上、「試合」という言葉が使われていましたが、実の所、水泳の場合は試合であっても単なる「公式記録会」に過ぎないのです。



試合が試合ではなく、記録会であると言うのがどういう意味かというと、水泳の場合、対戦的なゲーム性は全くなく、個人個人のフィジカルをひたすらに競う競技なのです。故に、対戦相手との相性、対戦相手のミス、偶然など存在せず、その日、一番速い人間(肉体的に強い人間)が必ず1位になる競技なのです。スタート台に立った時点で、勝者は99%確定しているため、そこには根性や精神論が入る余地などありません。

陸上競技の多くもそうでしょう。また、同じような特性を持つ競技は数多にあるはずです。スタートの時点、招集された時点で、既に勝負が決まっている競技は、そこに到る道程で最初から順位が決まっているのです。

つまり、これらの競技に関する勝敗の行方は、試合に向けて如何に努力したか、準備できたかと言う「準備力」が物を言う為、「試合」と言うよりもむしろ「記録会」や「発表会」と言い換えても差し支えないでしょう。



「準備力」という言葉を前にして、準備徹底系の物語が大好きである自分のモヤモヤとしていた感覚が初めて明確化されたのです。自分がトレーニングやサプリメントが大好きな理由の一端が形を持って見えた瞬間でした。

ということで、師匠の書籍、川阪氏の書籍を読むことで、川阪氏がサプリ塾が自信と責任を持って紹介できる師匠譲りの明確な言葉で道しるべを照らす人物に成長されていたことを再認識するに到ったのです。

ともあれ、このような切っ掛けで、準備力という言葉が熱を持って自分の中に刻まれました。

3へ続く



【関連】
準備力という言霊-1
準備力という言霊-2
準備力という言霊-3