知識とは何か?

私はいつも知識とはレゴブロックのピースだと答えている

ブロックの数や種類は、多いに越したことはない。
しかし、最も重要なのは、それを用いて何を作る事ができるかである。

いくら豊富な知識を持っていても、言語などの二元的表現においても三次元の立体表現においても、高い関連性を持った出力ができなければ、知識なぞ素晴しき直感システムの感度を下げる無用の長物でしかない。

知識をリレーショナルに処理できないのは、多種多様なレゴブロックを所有しているのに、二次元的な平面作品しか表現できないのと全く変りが無い。



さて、ターミネーターファンならば、周知である物語の発端。

サイバーダイン社が生み出した軍事力を制御するコンピューターシステム「スカイネット」はとてつもないスピードで学習を開始し、1997年8月29日午前2時5分、自我に目覚めた。

ついつい流して通り過ぎてしまうくだりであるが「自我に目覚める」という現象は、簡単な事ではないと思う。

人間を遥かに凌駕した存在が自我に目覚めたのならば、複雑な思考と行動を有する人間ですら、ボットプログラムに過ぎず、魂の存在も否定されてしまうだろう。

つまり、超自我からすれば、覚醒度の低い自我など、ファミコンのAI程度で、意志を持った人間も程度如何ではAI制御のNPCキャラとして「処理」されるはずだ。



そうではない!自分は違う!
自分には意志があり、心があり、魂が宿っていると言うのであれば、全身全霊を持って自分の存在を肯定しなければならない。

その為には、思考に思考を重ねつつも、同時に直感想像力いう感性も磨き、脱皮を繰返して、自我の密度を上げるしかないのである。主観と俯瞰を同期させて、自己の覚醒レベルを高めるのだ。

さすれば、同じフラクタルを繰り返すだけの桜の枝もこれまでとは違って見え、店屋物のパンの味すら違って感じるだろう。


自分は、本当に自我を持つに到っているのか?
そう自問する今日この頃である。

屠畜場へのトラックに乗せられる時、あるいは屠畜の順番を待つ列で、牛は涙を流すという都市伝説があるが、自分が似たようなシチュエーションに置かれた時に状況を察して抗うことができるのだろうか?

少なくとも、PM2.5がー!などと騙されたくはない。



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2012年3月11日
2013年3月11日