今から15年以上前の話である。
当時、香川県住まいであった友人が、アリーのフォールディングカヌーによる四万十川下りを企画した。
手に持てるだけのアウトドアグッズを携えてマリンライナーから高松へと降り立ったが、そこは雨。駅前で売られているじゃこ天をかじりながら友人の迎えを待った。
友人宅のテレビに映った四国の天気図は、何処も雨。それもそのはず、台風が目下上陸中だったからだ。
機転が利く彼は、全国の177に電話をかけまくった。
そして、日本の中で唯一、天気の県を見つけた。岐阜県である。岐阜県と言えば、長良川。激しい雨が降る夜中、車に荷物を濡れながら積載して、出発した。
当時、香川県住まいであった友人が、アリーのフォールディングカヌーによる四万十川下りを企画した。
手に持てるだけのアウトドアグッズを携えてマリンライナーから高松へと降り立ったが、そこは雨。駅前で売られているじゃこ天をかじりながら友人の迎えを待った。
友人宅のテレビに映った四国の天気図は、何処も雨。それもそのはず、台風が目下上陸中だったからだ。
機転が利く彼は、全国の177に電話をかけまくった。
そして、日本の中で唯一、天気の県を見つけた。岐阜県である。岐阜県と言えば、長良川。激しい雨が降る夜中、車に荷物を濡れながら積載して、出発した。
トンネルを抜け、山を越えると結界でもあるかのようにそこだけは晴れていた。
とは言え、川の水は方々の山や支流から運ばれてくる為、台風の影響を充分に受けて増水していた。
カヌーを組立て進水したが、早くもいつもと勝手が違う事に気がついた。
あれ?俺は今日、死ぬんじゃないか?
水量や勢いで舵取りもままならないこともさることながら、所々の段差が滝壺のように成長していたのだ。
カヌーを操る二人とも、元水泳部で救命胴衣を着用していたが、開始早々、やられる臭がプンプンしてきた。
何度か難所を通り抜けたものの、中流に近づくにつれ、滝壺の如き落差の奔流に飲まれ、ついぞ舟は転覆した。
激しいうねりの中、転覆した舟に必死でしがみついたが、友人の姿は見えない。それまでに、何度も岩で手足を強打していたので、もしも、同じように頭を打っていたら助からないことは判っていた。
数分間流されたが、友人の痕跡すら浮いてこない。それほど長く呼吸が持つはずもなく、友人の名を叫びつつも友人の母にどのように今回の一件を話せば良いかと思案していたら、ひっくり返った舟の下から友人の顔が浮上し、驚きから安堵の表情へと変化を見せた。
カヌーが転覆して沈んだ後、とっさに逆さになった舟の上面に潜り込んだら空気があったのでフレームにしがみついてしのいでいたそうだ。自分ですらこのような状態だったから、マスターはとっくに死んでいたものと思っていたらしい。
そして、このレベルの横転や転覆をこの日は幾度となく繰返し、その量産されるクライマックスからの生還の度に歓喜に包まれたが、最後の最後にどうあがいても抜けられない急流に飲込まれてしまった。
カヌーが横転して投げ出され、マスターが急流に飲まれてしまったのだ。
何度もあがくが水の力が大きすぎて何の抵抗もできなかった。渾身の力で岩や突起物に捕まろうとしても、苔が滑って指が剥がれてしまい、つかもうにもつかめない。流される先には、これまでよりも大きい滝壺状の段差。「何かにつかまれ!!」と川岸に泳ぎ着いた友人の絶叫が次第に遠ざかる。
あらゆる手を尽くしたつもりであり、また、これまで転落しても何とかなったので、ひょっとしたら助かるかも知れないと思い始めた。
しかし、滝壺が間近に迫ると、これまで聞いてきた音とは明らかに質量が違う重低音が身体を震わせ、川の水を一層冷たく感じさせて、一瞬前の楽観を呆気なく砕いた。
絶対にあそこに落ちてはならない!
考えろ!
えーと、今、仰向けで流されていて、流されているのは水に押されていて、押されているのは水と接触しているからで、寝ている状態だから接触面積が広い上に、効率よく流れる訳で...
そうだ、水との接触を最小限にするんだ!
...そうするには二本足で立つ。兎に角、何としてでも立つ!
うつぶせになり、両手両脚を川底に付けるや全ての瞬発力を導引して、一気に上体を跳ね上げた。気がつけば、転落数メートル前で、仁王立ちになっていた。正確には、どのような現象を経て二本足で立てたのかはわからないが、思った通り二本足であれば何とか流されずに留まることができた。
やめたくても岸に辿り着くまでは終わらないので、オールとカヌーを回収し、再度、ゴールを目指した。身体は傷だらけで体力もなく、言葉は少なかった。次に大きな難所があれば、突破できないだろう。
幾度の転覆や横転によって、ついに船底には穴が空いた。穴から浸水し、水で舟が重たくなってきた。数分後には、沈没するだろう。その時、岸が見えた。車で先発していた友人達が夕日をバックに手を振って待っていた。
我々は、残された力を注いで漕ぎに漕いだ。
その日は、中州に野営した。
鶏の胸肉を焼いた。鍋でご飯を炊いて、温めたレトルトの麻婆豆腐をご飯にかけてむさぼった。
疲労のために川縁で意識を失っていたら、川面が明るくなってせいで目が覚めた。
かがり火を灯した舟が鵜を放っていた。漁は禁止されてしまったので、デモンストレーションの為の練習か何かだったのだろう。
しばらくして、雨が降り始めた。
我々は疲れ切った燃えかすであったが、稲妻の早さで撤収作業を敢行し、脱兎の如く中州から逃げ出した。誰も一言も喋らなかった。雨が降ったら、川から逃げ出す。ただそれだけ。
その夜は、スーパー銭湯に泊まった。
翌日の新聞で、その日の長良川で何人か亡くなっていたことを知った。
#2へ続く
余談:
それからしばらくは、バガボンドにおける武蔵との対決を終えた胤舜のように、何にも興味を抱けない抜殻のようになってしまった。恐らく、危険行為によるアドレナリン中毒になっていたのだろう。
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とは言え、川の水は方々の山や支流から運ばれてくる為、台風の影響を充分に受けて増水していた。
カヌーを組立て進水したが、早くもいつもと勝手が違う事に気がついた。
あれ?俺は今日、死ぬんじゃないか?
水量や勢いで舵取りもままならないこともさることながら、所々の段差が滝壺のように成長していたのだ。
カヌーを操る二人とも、元水泳部で救命胴衣を着用していたが、開始早々、やられる臭がプンプンしてきた。
何度か難所を通り抜けたものの、中流に近づくにつれ、滝壺の如き落差の奔流に飲まれ、ついぞ舟は転覆した。
激しいうねりの中、転覆した舟に必死でしがみついたが、友人の姿は見えない。それまでに、何度も岩で手足を強打していたので、もしも、同じように頭を打っていたら助からないことは判っていた。
数分間流されたが、友人の痕跡すら浮いてこない。それほど長く呼吸が持つはずもなく、友人の名を叫びつつも友人の母にどのように今回の一件を話せば良いかと思案していたら、ひっくり返った舟の下から友人の顔が浮上し、驚きから安堵の表情へと変化を見せた。
カヌーが転覆して沈んだ後、とっさに逆さになった舟の上面に潜り込んだら空気があったのでフレームにしがみついてしのいでいたそうだ。自分ですらこのような状態だったから、マスターはとっくに死んでいたものと思っていたらしい。
そして、このレベルの横転や転覆をこの日は幾度となく繰返し、その量産されるクライマックスからの生還の度に歓喜に包まれたが、最後の最後にどうあがいても抜けられない急流に飲込まれてしまった。
カヌーが横転して投げ出され、マスターが急流に飲まれてしまったのだ。
何度もあがくが水の力が大きすぎて何の抵抗もできなかった。渾身の力で岩や突起物に捕まろうとしても、苔が滑って指が剥がれてしまい、つかもうにもつかめない。流される先には、これまでよりも大きい滝壺状の段差。「何かにつかまれ!!」と川岸に泳ぎ着いた友人の絶叫が次第に遠ざかる。
あらゆる手を尽くしたつもりであり、また、これまで転落しても何とかなったので、ひょっとしたら助かるかも知れないと思い始めた。
しかし、滝壺が間近に迫ると、これまで聞いてきた音とは明らかに質量が違う重低音が身体を震わせ、川の水を一層冷たく感じさせて、一瞬前の楽観を呆気なく砕いた。
絶対にあそこに落ちてはならない!
考えろ!
えーと、今、仰向けで流されていて、流されているのは水に押されていて、押されているのは水と接触しているからで、寝ている状態だから接触面積が広い上に、効率よく流れる訳で...
そうだ、水との接触を最小限にするんだ!
...そうするには二本足で立つ。兎に角、何としてでも立つ!
うつぶせになり、両手両脚を川底に付けるや全ての瞬発力を導引して、一気に上体を跳ね上げた。気がつけば、転落数メートル前で、仁王立ちになっていた。正確には、どのような現象を経て二本足で立てたのかはわからないが、思った通り二本足であれば何とか流されずに留まることができた。
やめたくても岸に辿り着くまでは終わらないので、オールとカヌーを回収し、再度、ゴールを目指した。身体は傷だらけで体力もなく、言葉は少なかった。次に大きな難所があれば、突破できないだろう。
幾度の転覆や横転によって、ついに船底には穴が空いた。穴から浸水し、水で舟が重たくなってきた。数分後には、沈没するだろう。その時、岸が見えた。車で先発していた友人達が夕日をバックに手を振って待っていた。
我々は、残された力を注いで漕ぎに漕いだ。
その日は、中州に野営した。
鶏の胸肉を焼いた。鍋でご飯を炊いて、温めたレトルトの麻婆豆腐をご飯にかけてむさぼった。
疲労のために川縁で意識を失っていたら、川面が明るくなってせいで目が覚めた。
かがり火を灯した舟が鵜を放っていた。漁は禁止されてしまったので、デモンストレーションの為の練習か何かだったのだろう。
しばらくして、雨が降り始めた。
我々は疲れ切った燃えかすであったが、稲妻の早さで撤収作業を敢行し、脱兎の如く中州から逃げ出した。誰も一言も喋らなかった。雨が降ったら、川から逃げ出す。ただそれだけ。
その夜は、スーパー銭湯に泊まった。
翌日の新聞で、その日の長良川で何人か亡くなっていたことを知った。
#2へ続く
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それからしばらくは、バガボンドにおける武蔵との対決を終えた胤舜のように、何にも興味を抱けない抜殻のようになってしまった。恐らく、危険行為によるアドレナリン中毒になっていたのだろう。
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