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〜イントロダクション〜

未読なのですが、小説「鉄道員(ぽっぽや)」の終わりで、駅長である主人公が幽霊らしき物に遭遇したにもかかわらず、いつも記録する日誌にいつも通り、

「異常なし」

と記するそうです。


感動短編なので、「だが、それがいい」となるのですが、少し茶化すと「オイオイ!十分異常だよ!」と突っ込みたくなるのが人情です(by オーケン)。

本編
「何故、ヨロシクナイ物質に対して臆病でないといけないのか?」


我家のルールとして、車に誰をどのシートに乗せようとも、徹底しているのがシートベルトです。高速道路ではない一般道でも、後列の人もベルト。他所の子を乗せる時は、チャイルドシートを持参してもらっています。

一見、安全に対する意識が高いという話に見えますが、全然違います。全く違う話です。

道徳やルールなど二の次で、なるべく被害者になりたくないからです。被害回避は無理にしても、ダメージを減らしたいと言う考えがあるからです。



いくら自分が注意していても、事故は必ず起こります。相手がいるからです。まぁ、自分も信用できませんが。

その際に自分が被害者になったとしましょう。0:100で相手が悪かったとしましょう。相手がきちんと任意保険に入っていたとしましょう。

この場合、損害に応じた金額がもらえるはずですが、それだけの話であって、何も得るものがないばかりか、損をしてしまうからです。無駄に時間を失うばかりか、怪我や後遺症などが発生した場合、計算表通りの金額が支払われても、帳尻が合わないことは簡単に想像可能です。

筋トレ好きが筋トレできなくなって身体は萎むばかりか、(当たり前ですが)それまでのジム代やサプリ代、食費は返ってきません。生き甲斐や情熱に比べたら、慰謝料なんてはした金です。

一方、加害者側は相当悪質なのを何度もやらかしていない限り、交通刑務所に行くことはありません。全て保険屋がやってくれるので、ノーダメージ。凹んでも、カラオケ行ってポンです。



そのような背景から、「事故ってもダメージを減らす」、「歩行者や二輪の時は跳ねられないように人一倍気をつける」ことを心がける訳です。

交通ルールや道徳ではなく、トホホにならないことが重要であるという考えは、子供が乗ってますステッカーを貼っているのにチャイルドシートに子供を固定していない人が理解できないという話を覚えている方なら説明不要でしょう。

#2へ続く



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