【序】

マスターが持つジョークの一つに
「日本でガーデニングに精を出して良いのは、大金持ちと農家の人だけ!」
と言うのがある。

食えもしない花々で貴重な土地を埋めるのは、そもそもプランテーションや奴隷制度などの「巧い仕組み」を持った国のみに適する「遊び」ではないだろうか?

プランテーションを持たない上に、食料を世界から仕入れないといけないように仕向けられている状況(※)において、自由に出来る「土」があるならば、「美」よりも前に食べ物を優先する方が置かれている立場から考えると矛盾が少ないだろう。

風水や習わしも、また然り。

折角の土を魔除けの南天の木や柊で埋め尽くしてしまっていないだろうか?

茂った南天が人間様が通る導線を狭くしてないだろうか?塞いでやしないだろうか?

縁起がよいはずの置物を避けて通らないと歩けない道になっていないだろうか?

魔除けや風水とは、そもそもは幸せを願って行うオマジナイであるはずなのに、逆にそれらが生活を圧迫しているようなケースを見たことがあるような気がするのは、気のせいだろうか?

人間が南天の木をわざわざ避けて、歩く必要はない。
善かれと思って植えた食えもしない草木の濡れた葉に身体が当たって、毎度毎度衣服が濡れるよな暮らしは、幸せとは言い難いだろう。

幸せになるためのオマジナイが、生活に少しでも不快感を与えてはならない。



さて、いつもの説教臭い話か、訳のわからない話に思えた人もおられるだろうが、誰もが経験する「このサプリメンテーションは俺に必要だろうか?」、「自分にとってのこのサプリの優先順位は?」という悩みにぶつかった際に、上記のような視点があれば、解決へのひとつの流れが明確に浮かびあがるはずである。

#1へ続く



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