最近は、通勤中の電車内で、ギャビン・ライアルの小説「裏切りの国」を読んでいる。ライアル初期の一人称視点で展開する物語は、一人で仕事をするのが好きな孤独ッキーには、グッとくるものがる。

中東のうらぶれた安ホテル。すえた臭いがしそうな一室で、主人公が床に付いた相棒に耳打ちする・・・。

「もしいい夢を見たら、その女に妹がいるかどうか聞いといてくれ」
「あの騒動」があった後だけに、
「彼の発言は、少なくとも生物学的には正しく、科学的である」と納得してしまった。

「あの騒動」とは、確か、ジャズシンガー綾戸智絵さんのモノマネ芸人の女性が「羊水がどうたら」と発言した事に端を発するらしい。

彼女の発言は、いささか科学的ではなかった。
世の女性やフェミニスト、ジェンダーフリー派の反発は凄まじかったようだ。


では、もしも彼女が

「卵子は、精子と違って、その源は長い間作り置きされているので、年月と共に劣化が起こる。当然ながら、年齢を重ねれば重ねるほど、劣化が進むので、母親由来の染色体異常の発生率が高まる。故に、最近結婚した私のマネージャーには、できるだけ早く出産して欲しい」

と、少々、科学的エッセンス(※)を加えて発言していたら、バッシングを受けずに済んだのだろうか?

否。
それどころか、より一層叩かれる事になったであろう。

結局、この騒動の根幹は、「科学的か否か」ではなく、「大きなお世話だ。お前なんかに言われたくねーよ!そっくりさん芸人は、黙ってろ!」と言う感情に由来していたのではないだろうか?つまり、科学的であれ、勘違いのおバカ発言であれ、女性のデリケートな話はしてはいけないと言った感じ?

しかし、感情的になってしまったと言う事は、裏を返せばお馬鹿さんの脊椎反射的発言に、傷付いてしまったと言う事になる。

安い靴に踏まれても、汚れたり傷付いたりしないような心と身体を目指したいものだ。


※ 必ずしも「科学的=正しい」ではない