ある家には、落葉樹が生えていた。

その落葉樹は、食べられる実を付ける訳でもなく、その家の外観に潤いを与えるわけでもなく、主達に何かしらのメリットをもたらすことはなかった。

秋になり落葉が始まる。

毎年、ビッコを引いた主が敷地内、そして敷地外へ散らばった落ち葉を掃き集める。

木は大きいので、その行為は2ヶ月以上、毎日続く。

集められた落ち葉は、良質な堆肥にされるわけでもなく、暖房や調理のたき付けに利用されるでもなく、焼き芋にすら利用さぬまま、ゴミへ出され利用価値のない灰となって埋め立て地へ投棄される。



落ち葉を片付けるという行為は、一見、至極真っ当な行為に思われる。足が悪いのに義務を放棄せず、立派ではないかと。しかし、視点を少しばかりずらすと実のところ、その行為は捕虜収容所での意味を与えない労働や賽の河原の石積みと何ら変わることがない。

拾って捨てるだけの行為は、落ち葉のエネルギーを別の物へ伝達するわけでもなく、別の有効な物へと変化させる訳でもなく、何ら生産性のない行為と見ることもできるのだ。

何も生み出さないばかりか、ゴミ袋はもちろん、時間を消費してしまうマイナスの行為と取ることもできるだろう。

その木が家の見栄えにすら貢献しないのであれば、身体の自由も利かないことだし、いっそ切り倒してしまえば良いのではないか?



・・・と言う考えなので、マスターは「家の塀や柵って生産性がないばかりか、実は消耗品なんだよね〜。って、それ言い出したら、家は資産って『設定』らしいけど、実は家こそヒドイ消耗品じゃない?」と思ってしまったりします。

1そんな訳で、柵なんか見ても、何か食べられる実のなる植物を匍わせて少しでも生産性を持たせたいという衝動に駆られるのです。

太陽エネルギーによって柵は劣化する一方だが、そこで電気以外のエネルギーに転換する方法もあるのだ〜とのたまう訳です。



2マスターの読書場であるウッドデッキは、左上の写真のように空中に浮かんでいる構造です。開放感が欲しかったので、これまでは柵を設けていませんでした。

しかしながら、他所の子がよく遊びに来るので、不本意でしたが転落防止の為に仕方なく柵を作りました。

ただし、単なる消耗品は癪なので、柵につる性のブラックベリーを匍わせ、ビールの栓抜きを付けました。柵は単なる柵ではなく、大げさに表現すると太陽エネルギーをジャムへと転換する装置とも見なすことができるのです。

(エコとか二酸化炭素とか、『そんな話』ではないので夜露死苦!)


さて、読み手によっては意味不明でしょうが、上のフィーリングは実はサプリ選びやその是非を決定する際の指針と関係があるのです。



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